今日はSONGSのナイツ・テイル回ですね!!みなさん録画しましたか!!
SHOCK担の方もぜひ見てください!!
最近大学の講義でシェイクスピアの演劇について学び、当時の演劇について知っているほどナイツ・テイルを楽しめると思ったので、シェイクスピアの他作品との類似点などをまとめてみます。
まず、当時の演劇スタイルについて。
エリザベス朝演劇
1642年までの演劇様式のことです。
ナイツ・テイルの原作「二人の貴公子」は元々ギリシャ悲劇なので、特にギリシャ悲劇の特徴を挙げると
・幕、緞帳、舞台袖がない = セット転換がない
・幕間がない
・以上二点から、何幕何場という概念がない
・劇場は円形(参考:グローブ座)
・劇場は屋外で、ステージにのみ屋根がある
・そのため照明は自然光のみで、昼間のみに上演された
・役者は仮面をし、声のみで演じる。身ぶり手ぶりもない
・仮面を使い分けて1人で複数役を演じた、そのためメインの役者は最大3人
・その他に「コロス」という、コーラス隊兼群衆役(今でいうアンサンブル)がいる
幕間がないため上演中は常に飲食物が売られていて、飲み食いしながら観劇していたみたいです。劇場というより、スポーツのスタジアムのようですね。
この時代の演劇が古典と呼ばれるのに対して、1660年以降は近代演劇・新劇と呼ばれ、プロセニアム・アーチ(額縁舞台)という現代の演劇にかなり近い舞台のつくりになります。
以上を踏まえてナイツ・テイルを見てみると、
・基本的なセットが一つのみ
・緞帳がない
・セットが丸みを帯びている
といった特徴があることがわかります。
一方で、ナイツ・テイルは喜劇となっています。
シェイクスピア喜劇の「型」
影→(逃げる)→森→大団円
1. 影
不合理な法律、怒れる老人、死、追放など
2. 森
カオス、自己をなくす(lose oneself)
ユングの心理学における無意識
男女や上下が入れ替わる、区別がなくなる
3. 大団円
新しい自己(identity)の発見
配偶者(one's better half)との統合
当時独り身はあくまで半人前(half)で、結婚することで一人前になると考えられていた
ナイツ・テイルにおいては
⚪︎アーサイト
戦争に負け、捕虜となる
↓
森に逃げる。変装し、フィロストレイトと改名する
↓
結婚
⚪︎フラヴィーナ
パラモンに恋をし、失恋する
↓
森で意識を失い、病気になる
↓
結婚
と、このパターンを踏まえています。
一目惚れ
ナイツ・テイルに出てくる恋はほとんど「一目惚れ」です。パラモンとアーサイトがエミーリアを見つけた時も、エミーリアがアーサイトを好きになった時も。シェイクスピアの喜劇ではほとんどの恋が一目惚れです。夏の夜の夢では、パック*1が塗った薬によって次々と一目惚れが起きます。お気に召すままではオーランドーとロザリンドがお互い一目惚れします。無理矢理な展開が多く、途中かなり省略されつつも最後は大団円で終わる、というのも喜劇の特徴だそうです。
前口上・後口上
原作「二人の貴公子」にある前口上・後口上が、そのまま生かされています。特に後口上はカーテンコールの後に演者が歌い出したので、初見のときはかなりびっくりしました。
古典では劇を舞台の上で完結させず、観客の存在を想定し、観客とインタラクトするものでした。舞台と客席を分ける緞帳や幕がないのも、それを表していると言えます。*2 一方、チェーホフなどいわゆる「新劇」は観客を想定せず、舞台上で全てを完結させるものだそうです。撮影のときに観客がいないドラマや映画は、新劇の世界と言えるでしょう。
例えば「お気に召すまま」の後口上では、ロザリンドを演じた役者が役を抜けて、今演じた世界が虚構であったことを伝えます。*3 終演後の挨拶があらかじめ台本に書かれているような感じですね。このようにシェイクスピアの喜劇では、メタ的な要素が含まれていたりします。
今回のナイツ・テイルでは、「騎士の話は 君の話だ」と歌います。それぞれの名誉にかけて戦って生きた男性たち女性たちの話は決して昔の遠い国の話ではなく、今日本でこの芝居を観ている観客全員に当てはまる話だ、と直接訴えかけます。
変装
アーサイトが変装し、エミーリアもそれに気づくが、周りにはばれないようにあくまでフィロストレイトとして接する、という場面があります。この変装も、シェイクスピアにはよくあるモチーフです。お気に召すままではロザリンドが男装し、リア王ではケント伯爵やエドガーが変装する。当時の演劇では仮面を付け替えるだけで簡単に変装ができた、また役者でなくとも仮面舞踏会などで気軽に別人になる機会があったという背景があるのでしょう。
背の高い・低い
ところどころ、アーサイトの背が低いいじりが出てきますよね。「どっちがアーサイト?右のほう?」「違う、背の低い方よ!」など。(セリフはニュアンスです)
これはジョン・ケアードが堂本光一と井上芳雄に当て書きしたというのもありますが、2人の登場人物のうち一方を指す時に背の高低で示すというのはよくあるモチーフでした。ただし、通常は2人の女性役のうち一方を指すときに使われます。原作「二人の貴公子」にも、エミーリアとフラヴィーナで「エミーリアが背の高い方」という記述があります。
なぜかというと、当時演劇は男性のみで演じられていました(歌舞伎と通ずるところがありますね)。なので、女性役は8~15歳の少年俳優と呼ばれる声変わり前の少年が演じます。大抵メインの女性役は少年の中でも技量のある、つまり中学生くらいの背の高い人が務めていました。そのため、「背の高い方」というと普通は主役級の女性役を指します。今回は最終的にエミーリアと結ばれることになるアーサイトの方が背が低い、というおかしみが込められていたのかもしれません。
「セリフで」伝える
エリザベス朝演劇の特徴のところでも挙げたように、当時の演劇は身振り手振りなし、「声のみ」で演じるものでした。そのため、芝居に行くことを"see a play"ではなく"hear a play"と表現します。堂本光一も井上芳雄も、ジョンから「とにかくウケをとりにいかないこと、セリフをしっかり言うことでその面白さが伝わる」と口を酸っぱくして言われたと言っていたのが印象的でした。言葉遊びがふんだんに盛り込まれているシェイクスピアだからこそ、セリフだけでウケが取れるのでしょう。
ジェンダー観について
ジョン・ケアードもこの作品を上演するにあたって、現代のお客様に受け入れてもらえるように手を加えたと言っていますが、他の方の感想を見ているとここは意見が分かれるところなのでしょうか。
当時の男女観については、「二人の貴公子」の訳もした河合祥一郎先生の「シェイクスピアの男と女」という本に詳しいです。 ナイツ・テイルで大きなテーマとなっている「名誉」についても触れられています。気になった方はぜひ図書館などで探してみてください。
[追記]
その後FNSでも取り上げられ、気づいた箇所がいくつかあるので追記します!
乾杯(原題:Babylon Soldiers)の歌詞耳コピ
こちらで乾杯の原曲が聞けたので、歌詞を書き出してみました。わからない部分も多く、なんとか聞き取れた部分も全部合っているとは思わないのですが参考になれば。
兄弟、お前もか
FNSのナイツ・テイルメドレーで気づいたのですが、「囚人の歌」の中で「前は君を だが間違いの喜劇 兄弟、お前もか」という歌詞がありました。
「間違いの喜劇」はもちろんシェイクスピアの戯曲"Comedy of Eras"からきているでしょう。「兄弟、お前もか」はジュリアス・シーザー・のお馴染みのセリフ「ブルータス、お前もか」からきていますが*4、これは英語の作品中でも通常"Et tu, Brutus"とラテン語で話されます。すると、「兄弟、お前もか」は"Et tu, brother"となり、"Et tu, br"まで共通していることがわかります。
最後に
シェイクスピアの他作品とナイツ・テイルの類似点を挙げてみて、この作品はかなりシェイクスピアの文脈に則って書かれていると感じました。現代の視点から見ると違和感を覚えることも、あくまでシェイクスピアの世界観の中で構築されたものだと思うと納得できます。このブログがナイツ・テイル、シェイクスピア理解の一助となれば嬉しいです!