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オセローと神山智洋とシェイクスピア~考察と総括

自担・神山智洋がオセローに出演すると知ってから初めて触れたシェイクスピアの世界。

10月からは大学で今回出た新訳の翻訳をされた先生の授業を受けることができたので、それも合わせてこの作品を自分なりにまとめたいと思います。

注がたくさんついていて解説も充実しているので、とても読みやすくておすすめです!

とてつもない長文になってしまったので、お時間のある方のみこのまま読み進めてください。

12/30の14時からEテレで放送が決まりましたね!!歓喜!!!こんなことってあるんですね!!!!

Eテレシアター - NHK

 

 

オセローという人物

オセローはデズデモーナを深く愛していたからこそ、一度疑ってしまったときにその世界が崩壊する激しさを描いている。白人社会の中で一人黒人だけど成果をあげてきて周りから信頼を得て、キリスト教に改宗もして(トルコ人イスラム教徒を蔑視する発言を自らするほど)白人に溶け込んだオセロー。そんなfair(白)なオセローが一度黒い嫉妬を抱いたら一気に転落してしまう、本当にゲームのオセロのような作品*1

初めて夫婦二人だけで会話しようとした場面で、"Alas, he is betrayed! "「彼(キャシオー)はいってしまったのね!」とデズデモーナが言う。このbetrayed, 逝く/言う で誤解が起きてしまい、この言葉が引き金となってオセローはデズデモーナが自ら罪を白状したと思い込んでしまう。

オセローはただ妻が不倫をしたことに腹を立てたのではなく、彼のアイデンティティーでありコンプレックスでもあったところに見事に付け入られ、それまで持っていた確固たる自信を打ち砕かれた。年齢も人種もかけ離れたデズデモーナを手に入れたことに誇りを持っていたが、「ヴェニス女はこういうものなのです」とヴェニス人のイアーゴーに言われてしまったら反論もできず、なぜデズデモーナは自分と結婚したのか疑問に思うほど自信を失ってしまう。

これは私の妄想なのだが、エミーリアから真実を聞いた時、半ばまだイアーゴーのことを信じていたのではないか。その後同じく信頼しているキャシオーからハンカチを手に入れた経緯を聞いた時、オセローはこれまで信じていたものが全て崩れ去り、止めを刺されたようにショックを受けていたように見えた。そして最後に演説をし、自害する。

 

イアーゴーという人物

自分ではなくキャシオーが副官に選ばれてしまったところから全てが始まっているこの作品。ちなみに副官と旗手はどのくらい立場が違うのか先生に聞いたところ、今で言えば警察庁副長官とどこかの交番の交番長くらい違うそう。そんなにか!!

イアーゴーは田舎から出てきて幾つもの壮絶な戦場で戦い抜いてきた、叩き上げの人物。方やキャシオーは、「フィレンツェ男」つまり都会育ちの洗練された良い男、軍隊学校出身で教育は受けているが現場での経験は一切ない。当時のイギリスはシェイクスピアがこの作品を書いた十数年前にアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を破っており、かなり戦争、軍隊やその組織、精神性が身近だったのだろう。軍隊における出世の重要性などは今の私たちには少し想像しにくいかもしれない…ただ、良い学校を出ただけで現場をよく知らない人が上に立って、現場で働いている腕のある人たちが不満を抱くという構図は今でもたくさんあると思う。良い大学を出て大手企業へ就職した文系社員の下請けとして働く、腕だけはある零細SIerとか…*2

イアーゴーはオセローによく「それでも男ですか」と問う。しかし、副官になれず、妻をキャシオーにもオセローにも寝取られたと思うイアーゴーこそ「男」になれず、「男の中の男」になりたいと思った人物だった。

詩人コールリッジが唱えた「動機なき悪意」「動機はあくまで後付けである」という説も有名だが、動機の有無は結局イアーゴーを「人間」と捉えるか「悪魔」と捉えるかだと思っている。今回はパンフや雑誌で散々言及されているように、イアーゴーにはキャシオーが副官になったことへの嫉妬という強い動機があった、との解釈の元で演じられている。まあ神山くんが後者で演じることは考えづらい…(もちろんそれを決めるのは演出の尊晶だが)

オセローは序盤で頂点を迎え、そこから落ちていく様子が描かれているが、イアーゴーもまた調子の良いのは最初のうちだけで、途中からは次第に自分の手に負えなくなり、狂っていくような印象を受けた。この悲劇の一因として、"オセローが正直すぎた"ことも挙げられると思う。イアーゴーとしても、想像以上に事がうまく運び、というかうまく運びすぎ、後に引けなくなってしまったのではないか。最初は表情に余裕があったのが、徐々に狂気を帯びて正気を失っていったのがとても印象的だった。

以下の3シーンは、私の妄想の域を出ないが、イアーゴーが"オセローがここまで言うのか”と驚いているように見えた場面。自分の言った事をたやすくオセローの中で内在化しているぞ、という。

①オセローが「なぜ自然の情から外れて俺と……」と言う場面

国を超えてデズデモーナとオセローが結婚した事を、「自然の情から外れている」とオセロー自身も思い、言ってしまう。これに対してイアーゴーは、本人もここまで言うのか、と少し驚き、その後「そう、そこなんですよ。正直申しますとね、同じ国、同じ肌、同じ身分の縁談をすっかり断ってしまったわけですからね。どう見てもそっちへ向かうのが自然なのに。」と追い討ちをかけているように見えた。

ちなみにイアーゴーはオセローに対しては誠実そうなホワイトな声音で話すのが通常だが、この「正直申しますとね」以降は独白と同じようなブラックなドスの効いた声音で話していてゾクッとした。「だが失礼。」以降、また対オセローの通常のホワイトな声音に戻る。本音が出てしまった事に気づいて慌てるように。

②オセローが「三日以内に聞かせてくれ。キャシオーは死んだと。」という場面

オセローにキャシオーがデズデモーナと不倫しているとタレ込んだ結果、ほどなくしてキャシオー殺しを命じられる。

③オセローがデズデモーナをベッドで絞め殺した場面

オセローの部屋にイアーゴーや他の人が入ってきてエミーリアが「奥様はこのベッドで殺されてるんだ!」と言った後、一同は「まさか!」と驚く。ここでイアーゴーも驚いていたように見えて、イアーゴーは本当にオセローがデズデモーナを殺すまでに至るとは思わなかったのではないかと思った。ビアンカがハンカチを持っているところを見たオセローとの会話の中で、イアーゴーは「毒ではなく、ベッドで首を絞めなさい。自分で穢したベッドだ。」と言っていた。そう言いつつ、本当にオセローがその言葉通りの行動をするとは考えていなかったのではないか。

 

河合祥一郎著『ハムレットは太っていた!』の第5章には初演でイアーゴーを演じた役者はどんな人物だったかについて書かれているが、初演時はとにかくイアーゴーはがたいのいい、軍人の役を多くやってきた人が演じていたらしい。今回はキャシオーの方が背が高く、田舎出身の軍人と都会育ちのエリートという対比がヴィジュアルからは一目ではわからなかったな…と思う。これが今井翼だったらまた違ったんだろうなと思ったり、桐山照史が演じたらどうなるんだろうと思ったりした。ちなみに25歳の神山くんがイアーゴーを演じることに若い、若すぎるという印象を受ける人もいただろうが、初演のイアーゴー役の役者は28歳だったのでシェイクスピアはその設定で書いている。ただ当時特に軍人は寿命が短かったので、28歳はすでに中年だったそう。確かに神山イアーゴー、中年には見えないね。

 

エミーリアという人物

この作品においてエミーリアはかなり重要な人物だと言える。不倫の証拠となったハンカチはエミーリアが盗み、イアーゴーに渡したものだったから。この作品の種本となったジラルディ・チンティオの『百話集』 では、イアーゴーが直接デズデモーナのハンカチを盗んでいる。シェイクスピアがあえてこの筋書きを変えたことからも、エミーリアとイアーゴーの夫婦関係を描きたかったことは明らかだ。イアーゴーの計画が成功するためにはエミーリアの愛が不可欠だった。そして実際、エミーリアはイアーゴーの言われた通りにハンカチを盗み、女主人のデズデモーナには嘘をつき、それを夫に渡した。このときのエミーリアは盲目的だともいえ、そのハンカチをどうするのか不思議に思いながらも、夫にその使い道を問うことはしない。ここでハンカチの使い道を尋ねていたら、もしかしたら計画がばれて失敗に終わっていたかもしれない。エミーリアの盲目的な愛が、この悲劇の一端を担っている。

ところが、デズデモーナとキャシオーができているとオセローを騙したのは自分の夫だとわかると、デズデモーナの不倫を知ったオセローと同様、これまで懸命に守ってきた世界が崩れてしまう。

一方、イアーゴーはエミーリアによってハンカチのことがバレそうになると「おい、もう黙ってろ。」と言う。ここでは再び、エミーリアが自分に従順なら秘密をバラさないでいてくれると一縷の望みをかけているのではないか。この段階ではイアーゴーも手を出さず、口で注意するだけである。ただエミーリアが自分の制止を振り切って秘密をバラした瞬間、イアーゴーの中でも妻エミーリアへの信頼が崩れ去り、手が出て妻のことを刺してしまう。

エミーリアはオセローとの会話の中で、「きっとどこかのとんでもない悪党が、こそこそよからぬことを企むろくでなしが、人を騙す詐欺師が、何かの職にありつこうとして、こんな悪口を思いついたに違いない」(158ページ) と言う。まだ真実を知る前に、図らずも夫の手口を言い当てている。ここからエミーリアはイアーゴーと同じくらい聡明だということがわかるし、エミーリア・イアーゴー夫婦が一心同体であるともわかる。

デズデモーナは何があっても夫を愛すると頑なになり、ある意味自分のことしか考えていない。一方エミーリアは夫のためなら煉獄の苦しみをも味わうと言っており、エミーリアの方が夫への愛が深いとも言えるのではないか。(デズデモーナはまだ10代だし、年齢もあると思うが)

 

今回の上演のポイント

①1幕最後のイアーゴーがの地球儀の場面

1幕の最後にイアーゴーが地球儀の大きな風船を弄ぶ場面があったが、それはチャップリンの「独裁者」のオマージュだろう。イアーゴーとヒトラーを重ね合わせたのか。

②カットされた道化

原作に出てくる道化のシーンが全てカットされていた。もちろん時間の関係が一番だろうが、道化がどういう役割か分かりにくいからかなーと思った。シェイクスピアの執筆当時に道化を演じていた役者はどの作品も基本的に同じ人が演じており、今でいう人気お笑い芸人のような感じだった。風刺やダジャレを言って言葉遊びをするので、日本語に訳すと難しいという事情もあると思う。

余談だが明治大学シェイクスピアプロジェクトのヴェニスの商人を観に行ったとき、もちろん道化が出てきたのだが、これ初見の人はわかるかなーと疑問に思った。ストーリーの本筋と関係ないっちゃないし...。

③ラストに追加されたシーン

今回最も印象的だったのはこのシーンだろう。本編の一番最後、(実はまだ生き延びていた)トルコ軍が一斉にオセローの部屋に入ってきてその場にいた人を全て殺してしまう。ただ後ろ手に縛られ、床にうずくまっていたイアーゴーのみもう死んでいると思われたのか刺されず、結果的に一人だけ生き残る。トルコ軍が他の人を刺し殺し、部屋から出て行った後、イアーゴーはオセローのベッドの前まで這っていき、そこに座り込んで幕が閉じる。

演出家・井上尊晶は蜷川幸雄の演出助手を長く務めてきた人だったので、その影響だろうか。蜷川さんはハムレットを上演したときに一番最後のシーンでフォーティンブラスをバイクで登場させるなど、破天荒ともいえる演出をしたりしたそうだ。

もうひとつ印象的だったのは、幕が降りながら最後に流れる音楽。ラレレ〜ドレララ〜ソ〜ラ〜ミドレ〜という劇中なんども流れる音楽だが、ずっと短調のこの曲が最後の一音だけ長調の和音で終わる。悲劇なのに、とても意外だった。これと合わせて考えると、最後の付け足されたシーンはイアーゴーの一人生き残った、勝ち誇った様子を描写しているのだろうか…。

今回の上演について深く知るにはシェイクスピアだけでなく蜷川幸雄演出の歴史も知らないと見えてこないと思っていて、そこまでは出来なかった。蜷川幸雄は言うまでもなく有名な演出家で大きな劇場や海外での公演もたくさんやっているけれど、始まりは小劇場、アングラな世界だったと思うとなるほどなと思ったりする。

 

神山担として〜人を苦しめ、人に苦しめられる役

イアーゴーは誰でも自担にやってほしい役柄なのではないかと思うが、あらゆる人を騙す悪役がとにかくたまらないということ、そして反対に他人から痛めつけられるところもまたたまらなかったという2点に絞って癖に刺さりまくった話をしたい。

まず人を騙す、苦しめる場面だが、

ブラバンショーに娘が黒人と駆け落ちしたと煽る

ロダリーゴーが持ってまわった言い方をするので痺れを切らして、船に偉そうな態度で腰掛けたまま「おいブラバンショー」と声をあげるのがとにかく好きだった。

・ロダリーゴーにはあることないことうまい話をし、ロダリーゴーが嘘に感づいてきたら煙に巻いて粗雑に扱う

ロダリーゴーは劇中では雑魚のように見えてしまうが、彼もヴェニスの紳士という身分の高い人であることを忘れてはいけない。デズデモーナに求婚できるくらいの身分ではあり、実際に田舎にたくさん土地を持っている。

・キャシオーを酔わせ、モンターノーと喧嘩させる。それがきっかけで副官の座を追われた後、デズデモーナに取次を頼むよう唆す

キャシオーが「名誉が…!」と嘆き、イアーゴーが「名誉なんて」と慰める場面はナイツ・テイルを思い出す。

・オセローに奥様がキャシオーと不倫していると伝える

キャシオーが寝言を言ったというくだりなんかは完全にイアーゴー調子のってるよなと思う、寝言でこう言っていたと言えば本人に確かめようがないし、何言っても許されるからってこの状況楽しみすぎだろ…って思った(好き)

・使うあても伝えず、エミーリアにデズデモーナのハンカチを盗むよう働きかける

このエミーリアがハンカチを渡す場面でのイアーゴーとのやり取りが好きすぎて毎回双眼鏡をぶれないように構えて凝視してた。キスをしたらこれで満足だろと言わんばかりに追い払うまでの一連の流れ。2幕の最初、キプロス島にオセロー夫妻と共に遅れてやってきたエミーリアとすれ違う時に一瞥するのも好きだった。ちなみに対デズデモーナはどうかというと、「イアーゴー」と言われて抱きつかれた時、イアーゴーはデズデモーナの体に腕を回そうとするも躊躇してしまって触れられない。手がものすごくゆっくり動く。当たり前と言ったら当たり前なのだが、ここから逆説的に雑に扱っているエミーリアへの身内感を感じられて良かった。

他にも汚い言葉をたくさん話したり、独白やロダリーゴーとの会話ではドスの効いた野太い声で色々と策略を語るのが好きで仕方なかった。*3こういった場面では、他の人に対して優位に立つイアーゴーを見て、観客である我々はこの結末までも知っているという点で(あるいは板の外からまなざしている側だという点で)さらに優位に立てるのも優越感を掻き立てられた。

 

そして他人から痛めつけられる場面だが、一つにはもちろん最後の場面が挙げられる。後ろ手に縛られて床に叩きつけられ、散々な罵声を浴びせられ、オセローに剣で顎を持ち上げられ、そのまま刺される。「毒蛇」「悪辣非道な悪党」「呪わしい下種野郎」「スパルタの犬」と言われる自担…!ただイアーゴーは一切口をきかないので彼らは結局真相がわからないし、その意味ではイアーゴーの掌の上で転がされていると言えるかもしれない。

もう一つ挙げたいのが、エミーリアに間接的にディスられる場面だ。先に挙げたエミーリアが図らずもイアーゴーの手口を言い当てる場面で、「とんでもないひどい悪党」「こそこそよからぬことを企むろくでなし」「人を騙す詐欺師」「どこかの卑しい悪いやつ、唾棄すべき下種野郎」と散々に言われている。さらに今回の上演ではカットされているが、原作ではこう続く。「ああ神様、どうかそういう連中を明るみに出し、正直な手それぞれに鞭を持たせ、そいつらを裸にして叩きまわし、東から西の果てまで追いまくらせてください。」個人的にはこっちの方がイアーゴーに堪えるのではないかなと思った。

 

参考になる本

前述の『ハムレットは太っていた!』の他、オセローという作品全体については森本美樹さんの『シェイクスピアの悲劇オセロー ー愛の旋律と不協和音ー』という本がわかりやすかった。当時の時代背景、結婚観や黒人がどう見られていたか、イアーゴーという名前が持つ響きなどに関して書いてあって、作品の理解が深まる、痒いところに手が届く一冊だと思う。

北村紗衣さんの『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書』はこれまであまり焦点の当てられてこなかったシェイクスピアの劇を当時観に行っていた観客の女性たちに注目していて、彼女たちの「ヲタクっぷり」がたくさん描かれている。特にこの時代は女性の「まなざされる」客体としての役割が大きく、そんな彼女たちが「まなざす」側になる演劇に熱中する者が多かった、一部の俳優には熱狂的なファンが多くついたという記述にはとても共感した。

 

自分の観た公演全6回を振り返って

9/2(初日) 1階7列上手寄りセンターブロック

7列目だったがそれでも少し近く感じて、全体を見るにはもう少し後ろのほうが見やすいなーと思った。とにかく初日は劇の迫力に圧倒されて数日間引きずったし、観てるこちら側もかなり消耗した。結果的に神山くんに対する好きが急加速した。

 

9/4 3階席正面

花道以外は見切れないので、とても見やすい!細かいことに気づいたり考えたりする余裕ができた。1階席ではなぜ3幕で鏡のセットが出てきたのだろうと飲み込めなかったけど、3階から見ると少しわかるような気がした。

 

9/14 3階右列

初めて右列に入ったが、上手と階段上がほとんど見切れる…!ただ花道はばっちり見えるのと、物理的な距離は近い。この日は電車が止まってしまい、冒頭15分程を見逃す大失態を侵すことに…。

前回の観劇から10日空き、神山イアーゴーの声がだいぶ変わってしまっていて驚いた。早口で捲し立てる台詞が多いこともあって、聞き取りづらくなっていたし言い直す場面も何度か…。そして何より迫力が半減してしまったのが惜しい。観劇した人全員に初日から数日間の迫力をぜひ体感してほしかった…。

10日経つと、様々な変更点があった。

①トルコ軍に勝利して杯を鳴らせ〜という歌をみんなで歌っている時に、イアーゴーは一緒に歌わなくなった

これは初回観劇時からイアーゴーが一緒に口ずさんでいるのがすごく嫌だったので、歌わなくなって本当に良かった!以前から全員で足を踏み鳴らすところに加わってはいなかったし、周りは歓喜に満ち溢れているのに対してやれやれみたいな表情はしていたけど、ロダリーゴーが歌わずにイアーゴーに食ってかかっている場面で仕方なさそうに歌っているイアーゴーに違和感しかなかったので変わってよかった。一方、ここはイアーゴーが率先して曲を歌い、皆を歓喜の祝福ムードに扇動する場面と書いてある本もあったので、歌うなら歌うでみんなを盛り上げるように、策略の一部として歓喜ムードを演出するように熱唱してほしかった。舞台のど真ん中でイアーゴーが2回手を叩いたら皆が歌い出すので、それで示していたのかな。

②ロダリーゴーの階段落ちがよりダイナミックに、舞台のかなり前方まで転がっていっていた。

③オセローも階段を落ちるようになっていた(転がるのではなく、四つん這いの格好で数段落ちる)

毎日新聞の批評に階段の上下を立場の上下にうまく見立てて利用しているとあったが、上記2つの変更点はそれをさらに活かしているなーと思った。

④エミーリアがイアーゴーにハンカチを渡した後、エミーリアの「重要な事じゃないなら、返して頂戴。」という台詞に合わせてイアーゴーがハンカチをひょいっとエミーリアに取られないように遠ざける

二人の戯れをより描いているのだろう。このシーンについては前項で語ったので割愛。

⑤イアーゴーがエミーリアを刺すときに、ベッドの横ではなく、前で抱き合って刺すようになった。

愛しているほど憎い、憎いほど愛しているのがより顕著に。

 

9/18 1階3列

少し上手寄りだったので、最後イアーゴーがうずくまる場面がよく見えなかったのは残念。一方、ロダリーゴーとイアーゴーが客席通路でやり取りする場面はあまりの近さに迫力がすごかった。3列目だとかなり細かい表情が見れるし、これまで気づかなかったことがいくつもあった。

14日からの変更点としては、イアーゴーがハンカチをしまう場面、前は袖に隠していたのをこの日はポケットにしまっていた。短時間で袖にしまうのすごいなーと思っていたら、とても安牌なやり方になっていた。

 

9/20 1階後列花道真横

花道通るときは本当に近かった、真横すぎてかなり見上げる形になった。この日は宝塚ファンのツアーがあったのか大型バスが会場付近に何台も停まっていて、客層がいつもとかなり違っていた。デズデモーナの登場やハケで拍手が起きたり、そこで笑う?という箇所で笑ったり(笑いが起こる個所が本当に多かった、終盤の場面でもたくさん笑ってた)、イアーゴーが地球儀を操る場面なんかはおぉ〜〜ってどよめいて拍手もされてた。カーテンコールの後一度幕が閉まったら皆席を立ち始めて、再び幕が開いたら通路に立ち止まって舞台に手を振っていて、奥様方とてもフリーダムだな〜となんだか微笑ましかった。

 

9/26(千秋楽) 3階右列

この日は入れればいいという気持ちで再び3階右列。この日は前回より少し奥だったので、直接見えないところはスクリーンを見れてよかった。

私が見た回は初日と2回目は一回ずつ噛んでしまっていて、その後どんどん噛む回数が増えていったのが残念だったけれど、この日は一回も噛まなかったことがすごく嬉しかった。

初日は挨拶なかったけど千秋楽はどうかなーと思っていたら、中村芝翫さん、檀れいさん、神山くんの3人はあった。お二人がしっかりした挨拶をしたあと、神山くんが役を抜けた声で話しはじめたときはあまりに普段と声が違っていてびっくりした。ここまで喉を痛めていたとは思わなかった...休演日なかったもんね...。喉がこんな状態なので手短に話しますね、と言った割には全然話がまとまらなくて結果長いこと喋っていて、めちゃくちゃかわいかった。しかも関西弁っていうこのギャップ。少し前までイアーゴーだったのに。格好はイアーゴーなのに。衣装と声のミスマッチがすごかった。

 

松竹webチケットシステム

松竹webチケットシステムが神、という話。なお先日リニューアルされたため、現在は多少変わっていると思う。

なんといっても座席選択ができる!初日公演を見てあまりに感動し、もっと見たい!できれば前で見たい!花道を通ることも多かったから、花道横でも見てみたい!と思った時、一般発売開始から2ヶ月あまり経った初日公演後でも平日昼公演であれば3列目も花道真横も取ることができた。しかもクレカ決済で手数料はなし!チケット販売システムにありがちな、手数料だけで1000円近くなるということがない!発券は会場にある専用の機械で、使用したクレカを挿入するだけでそのカードで買ったチケットがいっぺんに発券される!当日の開演直前に行っても(私が行った時は)全く並んでない!なんて簡単!!

とにかく行きたい日の公演の好きな席種のチケットを即オンラインで取れるのが嬉しすぎた。しかも3000円からあるので、あまり普段観劇しない友達などにも勧めやすかった。キャパ的にも金銭的にも、チケットを取るハードルが低いのは本当に大事!!

そんなこんなで6回見ることができたのだが、6回も見ると、4回目くらいからほとんどのセリフが頭に入ってキャラクターの動きもわかってくるようになる。なので途中からはずっとイアーゴーのみを追っていたし、そういう(イレギュラーとも言える)見方をすることで気づいた点もたくさんあった。こういう場面ではこのような表情、仕草をしているのか、といった細かいところも。あとは顔と同じくらい手をずっと見てしまった、ほんとに指が長くて綺麗...

幸運なことに実質的に台本が手元にあるという状態だったので(これも初めてのことだった)、今回の上演に当たってカットされた部分に全て印をつけるということもできた。ト書きの入退場のところに上手から・下手から・花道からなどと書いておけば、上演台本が手に入ったも同然!今でも本を開けば、今回演じた役者さんの声でセリフが再生され、脳内でそのまま上演される。

 

他のシェイクスピア作品

9月下旬から1ヶ月ほどでオセローの他にもロミオとジュリエットハムレットマクベス、夏の夜の夢、ヴェニスの商人、お気に召すままを読み、シェイクスピアの戯曲だけでなくそれらについて論じられた本をいくつも読んだ。

本を読むだけでなく明治大学シェイクスピアプロジェクト「ヴェニスの商人」を見たり、喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」を翻案にした新作狂言「法螺侍」を見たり、シェイクスピア・シンポジウムに参加したり、ナショナルシアターライブで「ジュリアス・シーザー」を見たり、来年はロミオとジュリエットを見に行く予定があったりと、とても充実している。

それほど意識しなくても、今年の10,11月に観た舞台は図らずも全てにシェイクスピアの要素があった。メタルマクベスはもちろんのこと、いまを生きる、ライオンのあとで、TOP HAT、市場三郎。毎年観ているSHOCKにも出てくる。それほどシェイクスピアは共通認識なんだな、これまで観てきた舞台にもあまり気に留めてなかっただけでその要素は含まれていたんだろうな、と思った。

シェイクスピア沼は世界で400年以上、日本で200年近い歴史があるジャンルなだけあって、大小様々な公演、勉強会などが年中行われている。ただファンクラブに入ればそのアーティストの情報を得られるというものではないので、それらの情報を一元的に得るのは難しい。しかも突き詰めていけば原文で読もうということになり、それは少し日本語の話せる外国人が源氏物語を原文で読むようなものなのでとても果てしない。ただそれだけ奥の深い世界なので、今回いろんな機会を通してその片鱗に触れられたのはとても楽しかった。神山くんが雑誌などでこれをきっかけにシェイクスピアに興味を持って欲しいと言っていたし、松岡和子さんも「蜷川さんはアイドルを見に来たファンに、芝居を見せて帰す」と言っていたので自分もここまでシェイクスピアにハマれてよかった。意外と身近なところにたくさん潜んでいたのに気付けたし、このようなきっかけをくれた神山くんには感謝してもしきれない。

神山くんがweb連載でまたシェイクスピアの作品に呼んで貰えるのが目標と言っていたのが本当に嬉しかった!!

もし私が照史担だったら今頃サラ・ベルナールについてめちゃくちゃ調べてフランス文学に耽溺していたような気がするし、人生って面白いなと思った(なんだこのまとめ)

 

…オセローに関することを全て詰め込んだら1万字を超えてしまった!Myojoの1万字インタビューかな、これは。。ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました!

*1:ゲームのオセロの方がこの戯曲から名付けられたけど

*2:GOD DAMNと通ずるところもあるかもしれない、役者本人と重ねるのは野暮だけれど

*3:オセローをやってから、心なしかラジオでの声が太くなった…?